SNSに自殺してしまったひとの日記を引用してから、たしかまだ日本ではひとが寝静まっている時間であるのに、あっというまに居酒屋チェーンの社長について、間歇泉がふきだすように「そうだと思っていた」という意見がSNSを通してスクリーンにこぼれるように現れたので、そのとき初めて、日本のひとも「皆」がそう思っているのを知った。
へえ、と思いながら削除したのをおぼえています。
そんなにたくさんのひとが知っているのなら、書いてもしかたがない、と思ったのかもしれないし、たくさんの人間と一緒に非難の合唱をするのは嫌だな、と思ったのかもしれない、どちらだか判らないが、自分の気持ちを詮索する習慣がないので、どっちでも構いやしない、ということになっている。
ひとつだけ付け加えておきたいのは、「もういいとしなのだから、病院に行けばよかったのに、バカだな」というひとや「自分なら、そこまで追い詰められる前に会社をやめている」というひとがたくさんいたが、気づかぬうちにそれが出来ない心理状態に追い込まれてしまったから自殺してしまったので、そんなひどいいいがかりはない、と思う。
人間が、非人間的な力、個々の人間を抑圧して、知らず知らずのうちに人間の集団を人間性を破壊する巨大な装置にかえてゆく力に恵まれているのは、なんという皮肉だろう。
ナチを生んだドイツ人は、むかしから、その悪夢を思い出しては、自分達が悪魔であったかどうかをたびたび振り返って検証しなければならなかった。
フランス人の執拗な復讐心が引き起こした一連の経過の自動的な結果、とドイツ人達は考えたがったが、外に向かって言う訳にはいかなかった。
BBCでナチの歴史を繰り返さぬためにドイツ人がおこなった特別授業の様子を観たことがあったが、ひとりの女の子が突然たちあがって、
「もう、こんなのほんとうにうんざり! ナチがドイツ人だったのは判るけど、わたしはナチじゃない! わたしがユダヤ人たちを殺したわけじゃないわ!」と叫ぶ。
観たのが子供のときだったので、番組の内容はあらかた忘れてしまったが、自分よりもいくつか年が上の女の子の「怒りに燃えあがった」という表現がぴったりの透きとおるように青い目をおぼえている。
ドイツ人が帳簿までつくって綿密に丹念に殺していったのはユダヤ人たちだったが、日本人が社会としてのいまを生き延びるために殺していったのは自分達の未来だった。